押印文化の無い者が作成した自筆証書遺言
自筆証書遺言の要件として、「遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない。」とされ、民法の定める要式行為とされています。要式行為とは、法律が定める一定の方式に従って行わなければ有効とされず、そうでない場合は無効とされる法律行為です。
押印が無い遺言書は民法上無効となりますが、これを有効とした判例があります。
文書の作成者を表示する方法として署名押印することは、我が国の一般的な慣行であり、民法968条が自筆証書遺言に押印を必要としたのは、右の慣行を考慮した結果であると解されるから、右の慣行になじまない者に対しては、この規定を適用すべき実質的根拠はない。このような場合には、右慣行に従わないことにつき首背すべき理由があるかどうか、押印を欠くことによって遺言書の真正を危くする虞れはないかどうか等の点を検討した上、押印を欠く遺言書といえども、要式性を緩和してこれを有効と解する余地を認めることが、真意に基づく遺言を無効とすることをなるべく避けようとする立場からみて、妥当な態度であると考えられる。(大阪高判昭和48年7月12日)
本件自筆証書による遺言を有効と解した原審の判断は正当であって、その過程に所論の違法はない。
https://www.courts.go.jp/ 最判昭和49年12月24日
これは外国から日本に帰化した者が作成した自筆証書遺言の有効性について争われた裁判です。この遺言者は40年近く日本に住んでいましたが、周りにいた人は数人の日本人を除きほとんどが外国人であり、日本文化に触れる機会が少なかったことが認められています。このような点から文書への成立要件として押印の文化がなく、サインのみですませる文化で生活していたものが作った遺言書に押印が無くても有効とする余地があるとされています。
これはごく稀な例であるので、原則的には、自筆証書遺言の要件は厳格であると考えてよいと思います。
遺言書本文に押印がないケース
一般的に署名と押印はワンセットというイメージがあるかと思いますが、必ずしも遺言書本文の署名の横に押印しなくても良いとされた判例があります。
自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自署し、これに押印することを要するが、同条項が自筆証書遺言の方式として自署のほか押印を要するとした趣旨は、遺言の全文等の自署とあいまって遺言者の同一性及び真意を確保するとともに、重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保するところにあると解されるから、押印を要する右趣旨が損なわれない限り、押印の位置は必ずしも署名の名下であることを要しないものと解するのが相当である。(東京高判平成5年8月30日)
遺言書本文の入れられた封筒の封じ目にされた押印をもって民法968条1項の押印の要件に欠けるところはないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。
https://www.courts.go.jp/ 最判平成6年6月24日
この判例では、遺言書本文の署名の下に押印が無くても遺言書を入れた封筒の封じ目に押印があれば、民法の要件を満たすとされています。
この裁判の後に、遺言書本文に署名と押印がないが、封筒に署名と押印してあるケースで有効性が争われた裁判がありました。似ているようなケースですが、どうなるのでしょう。
遺言書本文に署名と押印が無く、封筒に署名と押印がある場合は有効となるのか。
このケースでは遺言書本文と、署名と押印がある封筒に一体性が無いとして、民法の要件を満たさず無効であるとされました。
本件文書には遺言者とされる遺言者の署名及び押印がされておらず、本件文書自体を もって自筆証書遺言として有効なものと認めることはできない。
もっとも、遺言者が本件封筒に署名して押印し、かつ、本件文書と本件封筒が一体のものとして作成されたと認めることができるのであれば、本件遺言は、遺言者の自筆証書遺言として有効なものと認め得る余地がある。
東京家庭裁判所における検認の際、本件封筒は既に開封されていたことをも考慮すると、本件文書と本件封筒が一体のものとして作成されたことを認めるに足りる証拠はない。
本件文書と本件封筒が一体のものとして作成されたと認めることができない以上、遺言者が本件封筒の裏面に署名し、その意思に基づいて押印したかどうかを問うまでもなく、本件文書には遺言者の署名及び押印のいずれをも欠いており、本件遺言は、民法968条1項所定の方式を欠くものとして、無効である。
東京高判平成18年10月25日
自筆証書遺言の場合は、家庭裁判所の検認を受けなければなりませんが、本件の検認の時には、すでに遺言書が開封されていたという事実がありました。この点でも遺言書本文と封筒との一体性に疑いがあり、署名、押印という民法968条1項の要件を満たしていないという判決に導かれています。
裁判では遺言書本文に署名押印が無くとも、封筒に署名押印がなされ、かつその封筒が遺言書本文と一体に作成されたものと認めれらた場合には、有効となる余地があるとしています。
今回は自筆証書遺言の押印にまつわる判例を紹介しました。実は遺言書の押印は実印である必要はありません。拇印でも有効とされています。三文判でも普段からその印鑑を使用しているという形跡があれば本人の押印であるという証拠力を高めます。しかし無用な争いを避けるためには実印での押印が無難であると思います。