賃貸借契約における特約条項の有効性と説明義務
賃貸借契約において、ハウスクリーニング特約やフリーレント特約、さらには火災保険加入義務など、いわゆる「特約事項」をめぐっては、しばしばその有効性が争われる場面があります。
本記事では、これらの特約に関する賃借人の無効主張が裁判所によって棄却された事例を基に、宅建業者として注意すべき実務上のポイントを整理します。
事案の概要
本件は、賃貸マンションの一室を賃借した個人(原告)が、以下の特約等が無効であると主張し、敷金の一部返還および損害賠償を求めた事案です。
- ハウスクリーニング費用を定額負担とする特約
- フリーレント期間の設定
- 賃貸入居者総合保険の強制加入
これに対し、裁判所は原告の主張をすべて退け、賃貸人の対応に問題はなかったと判断しました。
判決の要旨と実務上の留意点
ハウスクリーニング特約の有効性
建物の賃借人に通常の使用に伴う損耗についての原状回復義務が認められるためには、少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である。(最二判平17・12・16)。
これを本件についてみるに、契約書の特約事項として、入居の期間、契約終了理由、貸室の汚損の程度及び原因の如何にかかわらず、ハウスクリーニング費用、並びにエアコンクリーニング費用を、賃借人が全額負担することが明記されている。その算出方法もハウスクリーニング費用、エアコンクリーニング費用についてそれぞれ明記されており、いずれの算出方法及び額も一義的かつ明確である。
賃借人は、宅地建物取引士から特約についての説明を受けていないから明確な合意はなかったと主張する。しかし、取引士による説明がなかったからといって、直ちに賃貸借契約や本件クリーニング特約についての明確な合意がないというものではない。 本件クリーニング特約では、クリーニング代の賃借人負担や、部屋の広さやエアコンの台数に応じた負担額の算出方法が明確に定められており、賃借人の負担額を一定額とすることは、通常損耗等の補修の要否やその費用の額をめぐる紛争を防止するといった観点から不合理なものとはいえないし、あらかじめ定められた本件の負担額は、実際の見積額や社会通念に照らして相応な額である。そうすると、本件特約が信義則に反して賃借人の利益を一方的に害するものであるということはできず、消費者契約法10条に基づき無効と言うことはできない。
東京地裁 令和2年9月23日判決
本件では、退去時のクリーニング費用について、居室の面積やエアコンの台数に応じて定額を賃借人が負担する旨の条項が契約書に明記されていました。
裁判所は、以下の点を重視し、この特約の有効性を認めました。
- 特約の内容が具体的かつ明確に記載されていること
- 定額負担により、トラブルを未然に防止する効果があること
- 負担額が社会通念上相当な水準であること
なお、宅建業法上の説明義務についても争点となりましたが、「宅建士による口頭説明がなかったことをもって、特約の合意がなかったとはいえない」とされました。
ただし、これはあくまで契約書に十分な明示があったことが前提です。宅建業者としては、特約内容についての書面明示と、宅建士による丁寧な説明の双方を行うことが望ましいといえます。
フリーレント特約の開始日設定
フリーレント特約の内容は一義的かつ明確であり、フリーレントの開始日と終了日について明確な合意があったものと認めるのが相当である。賃借主は契約の締結に先立ち入居可能日について貸主と一定の交渉をしており、契約書どおりのフリーレント期間とすることについて了承していたものと認めるのが相当である。また、宅地建物取引業法違反や説明義務違反等により本件フリーレント特約が無効になる余地もない。
東京地裁 令和2年9月23日判決
原告は、「入居可能日と異なる日からのフリーレント期間設定は一方的である」として、実質的に不当利得があると主張しました。
これに対し裁判所は、契約書にフリーレント期間が明示されていること、入居可能日について当事者間で一定のやり取りがあったことを理由に、フリーレント特約の有効性を肯定しました。
このことから、特にフリーレントの設定については、「開始日・終了日を明確に記載し、契約前に借主と十分に意思疎通を図ること」が重要です。
保険契約の加入義務
賃貸物件を保障対象とする保険の選択について、賃借人の自由に委ねるとすれば、賃貸人の資産である賃貸物件について十分な保険を掛けられず、賃貸人の利益を害する恐れもあり、賃貸人が保険会社を指定することにも一定の合理性があるというべきである。
東京地裁 令和2年9月23日判決
賃借人が保険への加入を強制されたことに対し、振込手数料等の損害を理由に賠償を請求しましたが、裁判所は以下の観点からこれを認めませんでした。
- 賃貸人にとって、入居者が一定の保険に加入することには合理性がある
- 保険の指定についても、賃貸人の資産保護という観点から一定の正当性が認められる
実務上、保険の強制加入については「指定先の一社独占」にならないよう配慮する必要がありますが、貸主側の合理的な利益保護の範囲内であれば、特段問題はないと考えられます。
実務への示唆
- 特約は契約書に明確・具体的に記載することが極めて重要
- 宅建士による直接の説明がないことが直ちに特約の無効にはならないが、宅建業法違反を問われる可能性がある。
- ハウスクリーニング特約や保険加入義務については、社会通念上相当であること、合理性があることが求められる
とりわけ、特約の有効性は「明確性・具体性・合理性」の3要素が重要な判断基準となります。宅建業者としては、特約の内容を一つひとつ精査し、契約当事者に対して誤解のないよう丁寧な説明を行うことで、将来的な紛争を予防することが重要です。
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