土地の売買契約において、契約締結直前に一方が契約を撤回する行為は、信義則に反するとして相手方に対する損害賠償責任を負う可能性があります。本記事では、福岡高裁平成5年6月30日判決の事例を通じて、この問題について詳しく解説します。
福岡高裁平成5年6月30日判決
紛争までの経緯
① 売買契約の合意と決済日の決定
X(買主)は、スポーツセンターを建設するためにY(売主、3名の共有)から土地を購入しようとし、媒介業者を介して基本的な事項について合意しました。所有権移転登記と代金支払いを一括して行う決済日も決定しました。
② 権利証の不足と代替措置
しかし、決済日の前日に本件土地の権利証がないことが判明し、XとYは保証書による所有権移転登記申請とXの担保権設定による代金の先払いに合意しました。
所有権移転登記における保証書とは、権利書を紛失していた場合に代わりに作成する書面です。不動産の売主がその不動産の真正な所有者であるということを2名の保証人が保証するという内容です。現在は、登記識別情報を提出できない場合に「事前通知制度」や資格者による「本人確認制度」によって代替しています。
③ 決済日当日の難色
決済日当日、Xは売買代金額に相当する銀行振出小切手を持参しましたが、Yのうちの1人が担保提供に難色を示しました。
④ 保証書の確認申出書と履行拒否
そのため、XとYは、保証書による所有権移転登記手続の際に売主に送付される確認申出書の交付と代金支払いを同時にすることにしました。しかし、Yはその日に本件売買を白紙に戻したいと履行を拒否しました。
⑤ Xの損害賠償請求
結局、本件契約は正式な契約締結に至らず、Xは代金の融資を受ける際に負担した金融機関への手数料等の損害を被ったとして、Yに対して損害賠償を請求しました。
各当事者の言い分
買主Xの主張
- 売買契約は重要な部分について事実上の合意が成立しており、保証書による登記申請行為も行われたため、Yの契約締結拒否は信義則上の注意義務違反である。
- 契約成立を前提に金融機関から資金を借り入れていたが、契約不成立により手数料や利息の支払い等の損害を被った。
売主Yの主張
- 売買契約の締結に至らなかったことについて信義則上の注意義務違反はない。
- Xの主張する損害はYの行為と相当因果関係がない。
本事例の問題点
売買契約の締結に向けて交渉を進めた場合、契約が成立していないからといって一方が自由に契約締結を取りやめることはできないという「契約締結上の過失」の理論が重要となります。信義則違反にYの行為が該当するかが問われました。
判決の概要
信義則違反の認定
福岡高裁は、Yの信義則違反を認め、不法行為の成立を肯定しました。Xが売買代金支払いのために金融機関から借入れしていた資金の手数料・利息等の損害(約9,000万円)をYが負担すべきとしました。
判決の論旨
交渉の事実経過から、Xは契約成立を期待し、そのための準備を進めることは当然であり、契約締結の準備がこの段階に至った場合、YはXの期待を侵害しないよう誠実に契約の成立に努めるべき信義則上の注意義務があるとしました。Yが「正当な理由」なく契約締結を拒否したことは違法であり、不法行為による損害賠償責任が認められました。
まとめ
契約締結前の信義則
契約締結の前だからといって自由に契約を取りやめることができるわけではありません。契約の締結交渉に入った以上、正当な理由もなく契約締結を拒否した場合は信義則違反として不法行為による損害賠償責任が生じる可能性があります。本事例は、不動産売買契約における信義則の重要性を再認識させるものであり、契約交渉においては慎重な対応が求められます。